ここに生きている

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2017080501
僕はよく勘違いをする。
このまま明日も道が続くんだろうと勘違いしてしまう。
すると、後ろから突然ゴンっと殴られる。
え?って頭が真っ白になった後、道が終わっていることを突然告げられる。
あ、そっか。明日が当然あるってわけじゃなかったよね。と勘違いから目覚める。

先日、パンを作っている時に、クープナイフで指をスパッと切ってしまった。
棚にあるバンドエイドを手にした時、メッセージ受信の着信音が鳴った。
父の急逝を知らせる、母親からのメッセージだった。
「え?なんで?」
母に電話したら、母は電話口で泣いていたが、声を振り絞り、父の死を告げてくれてた。

2017080502

一年前に起業のことを父に報告した時、僕の考えを批判され、言い合いになってしまった。
「考え方が違うから、言葉では伝わらない。」
「行動の成果を見せたら、理解してもらえるかもしれない。」
そう考えたので、起業してからは、とにかく事業につながるような行動を優先してきた。
なのに結局何の成果も見せられないまま、父は逝ってしまった。
「ちょっと待ってよ。早いよ。まだ何も伝えられてないやん。」
父の人生がまだ続くもののと、勝手に勘違いしていた。
少しでも伝えていればよかった。
突然の訃報のショックが引いていった後、そこには後悔の念、自責の念が積み重なった。

その状態を軽くしてくれたのは言葉の力だった。
葬儀での住職のお言葉に
「亡くなった人は遠くに行ってしまうわけじゃない。それぞれの人の心にいて、背中を押してくれたり、道を示してくれたりします。」というものがあった。
葬儀が終わり、車で家に帰る途中、ハナレグミの『天国さん』が流れた。
「あるよ あるよ ここにあるよ いつもそこにあるよ」
という歌詞。

これからの生き方について、父にもう見てもらうことができない。
そう勘違いしていた。
道が終わったんじゃなく、違う道が始まったんだね。
これからは、自分の心にいる父に見てもらったらいい。

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2017-08-08 | Posted in 生き方・ビジネス・食Comments Closed 

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